
"生活の領域"について思うところを反射神経で述べてみる。
ネット空間
もちろんインターネットカフェの話ではない。「オンラインで待ち合わせ」的なものである。我々はこれにも2つに大別することができると感じている。ひとつは同時多発的コミュニケーションを装う"ニコニコ動画"と、もうひとつはゲーム性をもち、実生活内の時間に組み込まれる疑似体験としての"セカンドライフ"や"ラグナロクオンライン"である。これらネットの世界では重力までもなくなるという。制約を失ったとき、クリエイションを支えるものは本当にコミュニケーションなのか。そしてその時、建築は何ができるのだろうか。
アーキグラム
ピータークック、マイケル・ウェブらによる前衛建築家集団。時代のかわり目というグニョグニョと簡単に変形する概念の時代を生きるときに、時代の概念としての建築をどれだけ提示できるのか。
24H営業
スウェット人間の出現分布の偏りが、24H営業に集中している可能性。深夜における生活領域の氾濫。
ホームレスのホーム
彼らのホームは常に我々と表裏の関係にあるのではないか。
可動建築
障子・襖、屋台、シュレーダー邸、札幌ドームなど、空間の両義性を成すワンアクション。その先はあるのだろうか。
カルボナーラ
食も生活の領域を示す格好の材料である。カルボナーラの起源(諸説の一説)は、炭焼人 (Carbonari) が仕事の合間にパスタを作ったら、手に付いた炭の粉が落ちてこんな風になるのではないかというようにして端を発したらしい。このように生活領域と料理は密接につながっている、が、近年グローバルスタンダードとなった料理も出てきているように思う。
"拡張したい"のか"縮小したい"のか
これは生活の領域を"拡張したい"のか"縮小したい"のか欲望に問いかける。旅などをして広い世界を見たいと考えるひとも多いかもしれない。しかしこれらは生活となり得ないケースも多い。一方、引きこもりは秘密基地の少し世間の目を意識した現象であるし、狭い範囲でのみ生活するひとは現代社会に多いだろう。
言語
日本語という言語、ギャル語という言語、建築界に存在する言語、、、地域や人種や専門などの領域にはそれぞれ固有の言語が存在する。現代における古語の衰退、新言語の出現。
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