SEED2-Phase2 divergence


前項で、ついに立ちあらわれた彼の作品と我々の勝手な加地恭平像が混ざり合った。その混ざり合ったものから何が読み取れるのか。このSEEDに関してはなんだか勝手な情が芽生えて、みんなの鼻息も荒い。そして鼻息の荒いこの談義から以下の幾つかの因子がみられた。

【概念の安直な可視化】
前作の瞑想という制約に対して「迷走」という回答をみいだした。ここに(言葉遊びに近いが)言語という概念が現れる。迷い迷ってゆくことで自己の内外を往来し、自己と対話する空間をつくり出そうとしたのではないか。そして建築としてアウトプットするときに、彼はそれをホントに迷路のようなカタチで示した。ここに概念の安直な可視化がみえる。

【藤本信者】
藤本とは、現代の学生(3年次)にとって絶大なる人気を誇るスーパースター藤本壮介のことである。藤本壮介の空間操作による"曖昧性"ということに多大な影響を受けているのではないか。しかしこれには?が多少うかんでいる。なぜなら加地恭平から遠藤秀平の匂いもするからだ。言説や壁の空間的両義な仕様から遠藤信者にみえなくもない。しかしここでは優先順位の高い加地恭平のコンセプトから藤本信者とし、遠藤秀平の匂いは下の"物質の両義性"にとどめておく事にした。

【物質の両義性】
地面が捲りあがり、それが壁となり、さらには天井となり屋根となる。遠藤秀平のそれと同様であった。しかし彼の場合、若さゆえの造形力や図面表現力の不足から、図面上の破綻が多々みられた。

【形態主義】
形態に意識が向いているため、オブジェクトとしての質量に考えを投影している。

【外部との連続性】
内と外のゆるやかな関係性や敷地の動線を強く意識している。前述の藤本信者との相違点は、ほんのわずかな範囲ではなく、もうひとまわり広範囲としての"敷地との連続性"の強い意識である。



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